『シカゴで撮影しなければ、一体どうやってこの映画を作ることができただろうか。』
Netflix新作映画「シカゴ7裁判」で監督・脚本家を務めたアーロン・ソーキンは米Varietyの取材で語った。
本作は、1968年の民主党全国大会で抗議行動が起こり、連邦政府によって陰謀罪で起訴されたデモ参加者7人(シカゴ・セブン)の裁判の様子を、実話を基に描いている。暴動を扇動したとして告発された、トム・ヘイデン(エディ・レッドメイン)、アビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)、ジェリー・ルービン( ジェレミー・ストロング) 、ブラック・パンサー党のメンバーであるボビー・シール(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世) は、当時マスコミにも注目され裁判所には多くの人々が集まった。
ソーキン監督は、この悪名高き裁判を題材にオールスターチームを結成。今日の世界で起こる出来事に大きな類似点をもたらし、組織的な不正を紐解いていく─。
元々この映画は2007年から構想しており、監督にはスティーヴン・スピルバーグの名が上がっていた。ソーキン監督は『当時スピルバーグからは、シカゴ・セブンの映画は2008年の選挙前に公開してほしい、と言われていた。こうして歴史と衝突しながらも14年待つだけの価値はあったと思う。』と振り返り、今が1968年のようになるとは誰も想像しなかった現状に『この映画を公開するのにこれほど適切な時期はなかった。』と語った。
ここでは、監督・脚本のアーロン・ソーキン、編集を担当したアラン・ボームガーテン、撮影を指揮したフェドン・パパマイケルが、シカゴでの撮影や法廷での緊張感、歴史の重要性など自らの思いを語っている。
〜当裁判の知識について〜
アーロン・ソーキン(監督・脚本) 68年のシカゴ民主党大会で市民が不安を抱えていたことや、60年のカウンターカルチャー運動のリーダーがアビー・ホフマンだというのは漠然と知っていた。 トム・ヘイデンについては、ジェーン・フォンダとしばらくの間結婚していたことだけで、ほとんど知らない。だからやるべきことは多かった。 裁判記録の全文は21,000ページ。出版物でも良い本は何冊かあったが、筆記録や本から得られなかったのは、トム・ヘイデンとの時間を過ごして学ぶことだ。 私がこの映画に取り掛かった時、彼はまだ生きていて、アビーとの間の個人的な関心に目を向けていた。この映画は3つの物語に構成されている。1つは法廷ドラマ。次に暴動と平和的な抗議行動であるはずのものが警察との激しい衝突に発展していく。そして3つ目はトムとアビーの物語。この2人は側にいて同じことを望んでいながらも、互いに憎み合い傷つけあっていた。 |
アラン・ボームガーテン(編集) 私は当時11歳だったので、市民に広がる不安やデモ集団の認識はあったと記憶している。アビー、ジェリーとトムについても少し知っていた。 アメリカ史の勉強もしていたから、彼らの政治活動についても知ってたし、テレビや州兵の映像を観ているうちに何かがおかしいと危機感を持ったのを覚えている。 |
フェドン・パパマイケル(撮影) 私はヨーロッパで育ったから、学校で学んだ程度だ。 |
〜シカゴで撮影することの重要性について〜
アーロン・ソーキン(監督・脚本) 最初にシカゴ以外の場所をいくつか調べた。ニュージャージーに法廷を建設することはわかっていたので、予算や効率を考えグラントパークとして機能する似たような場所を見つけることから始めた。 しばらくしてプロデューサーたちが3週間半シカゴで撮影できる方法を編み出した。我々が必要としていたもの、つまり実際の会場であるグラントパークの特定の範囲を押さえることができた。 ここで撮影することで、アランはアーカイブ映像とのマッチングに成功し素晴らしい編集をすることができた。この2つが一致していなければうまくいくことはなかっただろう。 |
アラン・ボームガーテン(編集) テクスチャを取り込んでもオリジナルの映像と非常によく合わさったので、驚くほどシームレスだった。 |
アーロン・ソーキン(監督・脚本) アランが見つけた記録映像は、フェドンが撮影した映像の続きのようだったのであえて白黒にした。シカゴで撮影できなければ、どうやってこの映画を作ることができたのか見当もつかない。 |
フェドン・パパマイケル(撮影) 暴動を再現しようとしたとき、記録用映像と同じくらいのエネルギーを発揮しなけれないけなかった。 実際のイベントには1万人、250人が参加した。私はカメラマンに、群衆の中に入ってドキュメンタリーを作っているふりをするように指示した。幸い催涙ガスという煙があったお陰でいろいろ隠すことができた(笑) 映画の撮影というよりも、グラントパークの丘がどのようなものであったかに重点を置き、私たちはフィールドに乗り、煙を上げて、皆を自由に走らせた。 |
アーロン・ソーキン(監督・脚本) 視覚的に1968年にはなかったような近代的な建物を消す必要はあったが、それでも数回しかなかった。ほとんどは変わらない。グラントパークは昔のままだ。 |
〜緊迫したシーンについて〜
アラン・ボームガーテン(編集) 構造とフレームワークはすべて揃い夢のようだった。時には会話だけのカットもあったが、映画が進むにつれいい意味で我々はどんどん暴動になだれ込まれていった。 実はアーカイブ映像は後から入ってきて、当初の計画にはなかった。だって元の場所で撮影したんだから、それがスクリプトに含まれることはなかったからね。 ところが調査のため、過去の映像を引っ張ってきたことがきっかけで、アーロンが映像をもっと探ることを提案してきた。 ただ注意したのは、その映像を使いすぎずに、ある瞬間を高め少しだけエネルギーを与えることが重要だと思い有効に使った。 |
アーロン・ソーキン(監督・脚本) 個人的には何人かのディレクターよりも撮影監督と編集者に頼ってしまう。映画監督は芸術と科学の交差点に住んでいる。私はカメラとレンズの科学について何も知らないからね。 編集者と一緒に最初のカットを見て、目を閉じて言語のリズムを感じる。彼らが映画の共同作家であり共同監督であることは重要ことだ。 |
フェドン・パパマイケル(撮影) アーロンが目を閉じてモニターの前に座ってセリフを聞いている姿には驚いた。『素晴らしい響きだった』と言うと、そのテンポや言葉が彼にとっていかに重要であったかを実感した。私はこの瞬間を与える為にいたんだと思った。 |
「シカゴ7裁判」
(原題: The Trial of the Chicago 7)2020年10月9日Netflix配信
平和的に行われるはずの抗議デモが、警察との激しい衝突に発展。その責任を問われ逮捕・起訴された7人は、米国史上最も理不尽な裁判に立たされる。【視聴する】